昨日は母のことを書きましたが、今日は父のことを。
父は7年前に他界しました。胆管癌でした。
父が亡くなる前後のこともよく覚えています。
いつか書けたらいいな。
墓石はなく、永大供養のお寺
夏休み以来、半年ぶりの墓参り。
実家と自宅の間に位置する父のお墓。
昨日はオットが在宅ワークに切り替えてくれて、こどもの下校時間に間に合わせる必要がなくなり、帰り道すがらお墓へ。
実家近くのスーパーで買った仏花を持って訪れたわたし。
そこには、あふれんばかりの仏花。
墓標もたくさんあるので、花差しもたくさんある。
それでもどこに活けようか場所を探すほど、花差しは満席。
これだけ花があるということは、それだけ人が訪れるということ。
お隣の墓標がどこの誰なのかもわからない永大供養だけれど、
これだけの花に囲まれて、
たくさんの人に手を合わせてもらって、
おとうさん、幸せね☻
海に骨を流してくれだの墓に入りたい人ではなかったけれど、四季を感じる庭を母が気に入ってここに決めた。
「墓を参る」ことで四季を感じ、父との時間を振り返り、そのたびにきっと浄化されていた母だけど、もう父の墓に訪れることはできない。
ちょっとの段差でも、何段も階段を上ることは今の母にはできないから。
だから、これからはわたしが父に手を合わせる。
死後にようやく話し合う、仏壇問題、墓守問題
父は胆管癌だった。
生存率はかなり低かったが、本人は生きる気満々で1年3ヶ月の闘病生活。
最後の2ヶ月は、もう長くないと家族は知っていても、死後の話はできなかった。
死んでから初めて、ぽつりぽつりと話し合った。
お墓をどうするか、仏壇をどうするか。
仏壇を買うか迷っていた母。理由は2つ。
- 自分が死んだあと、その仏壇の所在はどうなるのか…
- 仏壇は高い。そこにお金をかける余裕があるか…
1.は弟がひと言「そんなん、うちで預かるがな」
弟だけど、長男。
姉であるわたしも長男の嫁、弟の嫁さんも姉妹の長女。
そんな家族の関係性に母は遠慮していた様子だったが、弟は弟で、親のあれこれは自分が受け入れるのが当然だという認識だった。
2.はわたしがひと言「そんなん、わたし出すがな」
転勤族の娘夫婦は海を隔てて遠くに住んでいる。
細かいことはすべて弟に任せている長女、お金くらい出すわ。
そんな娘息子に、母は涙した。
そして仏壇があることで、
母は遺影に話しかけ、花を活け、線香をあげ、阪神タイガースの勝敗を報告し、父と共に暮らした。
息子も甥っ子も「線香をあげる」「じいちゃんに挨拶する」という習慣がついた。
仏壇を買って本当に良かった。
墓を参る、という習慣は受け継がれる
松山在住時代、関西帰省は家族行事だった。
兵庫の実家から大阪のお寺まで、車で30分。電車で1時間。
時間もなかなか都合がつかず、墓参りは申し訳ないがほとんど行ってない…。
それまでも、わたしには墓参りという習慣はなかった。
でも、オットは帰省の際、必ずと言っていいほど墓参りに行く。
(義両親は健在、墓はその親のもの)
墓を参る、ご先祖に挨拶する。
親の習慣が子に受け継がれる、と結婚してずいぶん経ってから気づいた。
父の墓をどうするか。
墓守問題を話し合ったときのオットの言葉が忘れられない。
墓は守らないかんもんやない。
守りたくなるもんやろ。
いやー、名言すぎるやろ!
通いやすくなったことだし、わたしもこれからは実家の帰りに寄ろう。
ひとりで参る墓は気持ちも浄化されるけれど、たまにはこどもも連れて行こうと思う。
だってさ。
わたしが死んだあとも、たまには彼に思い出してほしいもんね。
親の習慣がこどもの常識となる。
今から築く、死後の私欲ですな。
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