先日開催した片づけサークルで(松山のメンバーと今も月イチでオンラインでつながってます!うれしいな)、こどもの習いごとの話題が出ました。
7歳4歳の子育てをしながら、自分も働きながら資格取得に向けて学びに励む、頑張り屋のメンバー。小学1年生の長男くんが習いごとに宿題に忙しそうで、どうしたものかという彼女の悩み。
小学生ママたちが集まり(Zoomです!)、習いごとへのそれぞれの向き合い方を共有したその日の夕方、彼女は早速こどもと話し合い、ひとつの習いごとを手放すと決めたそうです。
すごい!展開が早い!
そして改めて思うのは、ただ話すだけでも悩みの根本がクリアになり、解決策が見えてくるということ。
習いごとは必要なのか?
幼稚園時代、周りに習いごとをしていない友達はいませんでした。ムスコも年中からスイミングを始めましたが、小2で松山市を去るまでは週1のスイミングのみ。
(小学生になってからは児童クラブでパソコンや体操などの課外教室があったのはよかったなぁ)
周りを見渡せば、毎日何かしらに通う子も少なくなく…。ピアノ、お絵かき、英語、公文、ダンス、スイミング、体操、etc.
幼稚園児で公文?英語?と、わたしは心のなかで疑問符がたくさんありました。もちろん各家庭で考え方は様々、よそはよそなのですが、習いごとより公園で走り回るほうがいいと本気で思っていたわたし。
ムスコのスイミングは友達に誘われた無料体験がキッカケ。わたしはどっちでもいいかなと思いましたが、本人が「行きたい」と言うではないか。そんな4歳に驚きつつ体験に参加。
初めての場所、初めてのプール。更衣室からカアサンとはサヨナラ。ぐずったり泣いたりするのかな?と思ったら、スタスタと先生についていくムスコ。遠ざかっていく4歳児の背中を呆然と眺めていたのはわたしのほうでした(笑)
それから4年。彼のペースで少しずつ進級しましたが、ものすごく泳ぐのが好きになったわけでも得意科目になったわけでもなく、クロールを習得する前に県外への転勤が決定。いいタイミングで退会できたと思っています。
家を離れ、親ではない別の大人に何かを教わる習いごとはいい経験です。とはいえ、幼児のころから多くのことを始めるべきかという点に関しては、わたしはそうは思っていません。
本人が習いたい?それとも親が習わせたい?
当時のムスコは週1のスイミングだけでしたが、周りを見渡せば毎日のようにどこかに何かを習いに行く友達がたくさん…!
その送り迎えを担うお母さんたちがすごいなぁとただただ感心するのと同時に、それって本当に本人の意思なのか?と疑問にも思っていました。
こどもの世界を広げるのは親の在り方だと思っています。
どんな週末を過ごすのか、どんな場所に連れていくのか、親の行動によってこどもの世界やモノの見方はずいぶん変わる。
だから、こどもが興味を持たない分野でも何か始めさせるのも、親の役目と言える。その後の人生を左右する、大きなキッカケを与える可能性もあります。
一方で「芸術ごとは何か覚えてほしい」「スポーツをしてほしい」「文武両道!」などという気持ちは、親のエゴではないのか?とも思っています。
習いごとを始める、続ける意味を親子で話し合う
習いごとは、お金も時間も費す。興味がたくさんあるのはすばらしいことだけれども、本人がやりたいことをすべて始めてしまったら、時間に追われてそれぞれが中途半端になる。
だからこそ、「なぜそれに通うのか?」を明確にすることは重要だと思っています。
何のために通うのか、いつまで通うのか、何かを習得したらやめるのか。
小学生にもなれば、本人としっかり話し合いもできます。まだ小1だし…と思っているのは親だけ。
始めた習いごとを、なんとなく続けるのも避けたい。物事には紆余曲折、浮き沈みがつきものなので、「耐える」時期は必要です。イヤになったからすぐ辞める、なんて諦めの早い子にもなってほしくない。
だけど、親の顔色をうかがって、自分の意見を言えないこどもになるのもイヤ。
親の意見を通すのではなく、親の思いを伝えたうえで子の意見を受け取り、折り合いを見つける必要があるのかなと思っています。
わが家の小3男児はいま、2つの習いごとに通っています。ムスコを見て感じる、それぞれの習いごとの意味を考えてみました。
体を鍛える体操、頭を動かすプログラミング。ムスコはどちらもめちゃくちゃ楽しそうに通っています。内容のバランスも、週2という日数も、わが家にとってベスト。
(2万超えの費用もこれ以上増やしたくない!(笑))
半年前、体操ではなくスイミングに通ってほしかったわたし。ムスコのいまを見ると、親のエゴを痛感しています。
こどもの意見を聞く親でありたい
メンバーの長男くん(小1)の話に戻ると、小学校のサッカーチームに所属し始め、週3サッカーに触れているとのこと。いまはそれが一番楽しい様子だけども、そのほか公文や楽器、スイミングまで通っているため、時間がないのが悩みとの話でした。
いや、それはすごいわ!と、シンプルに感心してしまいました。小学生になり宿題もあるうえ、楽器となれば毎日練習しないといけない。
本人はどうなの?と様子を聞くと、「楽器はあんまり…」と後ろ向きだけれど、「わたしが習ってほしい気持ちがある」とのことでした。
姪っ子さんが習ってよかったという話を聞いたのがキッカケだそうです。
うんうん、他人の経験はたしかに参考になる!だけど、姪っ子さんと長男くんが同じかというとそれは違う。習いごとの種類や頻度など状況は異なるはず。
そこで、長男くん本人と話すことをすすめました。習いごとにどう向き合うか本人の意思が一番大事。
するとその日の夕方、さっそく話し合ったそう!そして、12月にある発表会を最後に楽器をやめると決めたそうです。
始めるのは簡単。でもやめるのは難関。終わらせる勇気と疑うチカラを!
周りから得た情報で「取り入れてみよう!」と真似をしたり行動するのはとてもいいことですが、同時に、「それは自分にとって必要か」を疑うチカラも持ち合わさなければいけないと思っています。
習いごとだけでなく、バイト、仕事、友達づきあい、恋愛も結婚まで、何事も始めるのはいたって簡単です。新しいことを始めるときは、皆が応援してくれます。
一方で、途中でやめることは本当に難しい。それを決断するには、始めるときの何倍も何十倍も悩み、苦しむことも多いです。やめることを否定されたり、言い出しにくかったり、自己嫌悪に陥ったり、他人不信になったり…もあるかもしれません。
だけど、やめたっていい!全然いい!堂々とやめたらいい!
始めたからこそ「合わない」と気づけるし、始めないと「本当に大切な何か」はわからない。
習いごとは親の同意や責任も伴いますが、始めるのもやめるのも「自分で考えて自分で選ぶ」ように導きます。習いごとだけでなく、日々のあらゆる結果、楽しいことも悲しいことも実は自分が選択しているんだよということを伝えるように意識しています。
それは何も大きなことばかりではなく、靴下を青にするか緑にするか、チーズを食べるかみかんを食べるか、ゲームをするかYouTubeを見るか、日常は小さな選択の繰り返し。何気ない日常の繰り返しが今選択する力を養うと思っています。
サークル当日に早速話し合ったメンバーファミリー、すばらしいなと思いました。長男くんも、自分の意見を聞いてくれたお父さんお母さんのことをますます好きになっただろうし、嬉しかったと思います。
親子の信頼関係は日常の会話の積み重ね。
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