昨日から実家に来ています。
松山からは片道330㎞、4時間のドライブは気合の半日仕事だった。
京都市民になってからは50㎞、小1時間の旅に超短縮。
マイナス280㎞て。スーパー節約やん笑
半身不自由×ひとり暮らしの母
父は2015年2月に胆管癌で他界。息子が1歳3ヶ月の頃、ちょうど7年前のこと。
1歳過ぎたばかりでおじいちゃんとサヨナラ。
(記憶にはほぼないけれど、仏壇の遺影や写真、スマホの動画、でじぃじを認識している)
その後ひとり暮らしをしている母は、
2020年11月に脳出血で運ばれ、右半身が不自由となりました。
2021年4月退院後にもリハビリ再入院がありつつ
今は介護サービスなどを利用しながら、なんとかひとり暮らしを再開しています。
幸い、弟が近くに住んでいて。
ケアマネとのやりとりや通院、検査、いろんな支払いなどは弟に任せっぱなし。
わたしの役目は、美味しい食事と洗濯や掃除。
週に幾度かのヘルパーさんでは届かない、細かいあれこれ。
両手での作業はできない。外は一人で歩けない
右足は装具をつけて、室内はなんとか自力歩行。
杖を持てば室外もなんとか歩ける。
でもひとりではいつ倒れるかわからない。
右手は自由に動かず、両手で作業ができない。
料理や掃除、家事全般できない。
どころか、ペットボトルはもちろん開けれられないし、食材のパッケージを開けることもままならない
(できないもののほうが多い)。
バナナの房をわけることもできない。
それでも、「美味しい。」と言いながら、左手でフォークで自食できる。
幸せなことです。
でも、「美味しいってホンマかいな?」
そんな気持ちがよぎるほど、その表情も言葉も脳出血前とは変わってしまった。
笑顔はなくなり、表情は乏しくなった。
なんだか、感情の見えないロボットみたい。
表情からも言葉からも温かさは消えた
もともとそんなに表情豊かなほうではないけれど、笑顔はもちろんあったし、おちゃめな面もあった。
でも今は、笑顔と呼べる表情はない。と思う。
言葉はなんていうか、品が落ちた。
悲観的で文句を言いがちな性格だけれど、それでも言葉の裏に奥ゆかしさはあった。
弟が大学に入ったころから自分の時間を持ち始め、文学教室に。
エッセイから始まり、その後俳句の世界にはまった。
夏井先生の番組もよく観ていたし、句会でも評価は高かったそうだ。
わたしに息子が生まれた際は句を詠んでくれた。
そんな彼女は、言葉が大好きだった。
言葉のなりたちや組み方、裏側、言葉を交わす相手との距離感も大事にとる人だった。
でも今は、思ったことがすぐ口に出る。
楽しむ会話ではなく、単一な会話になった。
まとっていた品性はどこかに脱ぎ捨てられてしまった。
仕方がないとわかりつつ、心がさみしくなる
脳の構造をやられたのだ、行間を大事に、なんて相手を重んじている余裕はない。
不自由な生活、周りのサポートなくしては生きていけない。
やってほしいことは言ったほうがいいし、言わないと伝わらない。
周りに遠慮している暇はない。
とはいえ。
2年前3年前の母を思うと、ちょっとさみしい。
瞼を閉じないとその頃の母には会えない。
人は必ず老いる
わたしもいつかこうなるのかもしれない。
しれない、ではなく、確実に。
脳の病気にならなくとも、脳内の各箇所はその機能が徐々に低下していくだろう。
そうなるまで、あと何年だろう。
人は必ず老いる。
わたしも日々老いている。
老いること自体はまったく怖くはないけれど、
わたしもいつか息子に世話をかける日が来るのかと、
息子に疎んじられる日が来るかもしれないと思うと、
ちょっと切ない。
お母さん。
いま、その無表情のあなたの脳内はどんなですか。
そこに誰かいますか。
かわいい小人たちが楽しく働いているといいな。
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