先週のコト。松山から親友がやってきた
5月後半の平日の休みにあわせて、松山から親友がやってきた。彼女と出会ったのはライフオーガナイザー®という資格取得の学び舎。2017年の春のこと。
松山という地方都市で片づけに関するライフオーガナイザー1級という資格講座が開催されたのは初めてのことで、それ以降も開催された噂はないので、松山で資格を得るチャンスがあったのは先にも後にもわたしたちだけ(2023年5月現在)。
月に一度、終日の講座を受け、次回までの1ヶ月で課題をこなす。これを3回受講した3ヶ月目に認定試験を受け、後日合否がわかる。
合格後にも実践的な課題が待っていて、自分の目指す事業ビジョンやターゲット層などを練り上げた『ビジネスモデル構築シート』なるものを提出することで、晴れて資格を手にするという、4ヶ月の中長期戦だった。
当時、息子は幼稚園の年少児。預かり保育を利用して受講していたものの、17時までしっかり授業があり、その後片づけや談笑を終えてから迎えに向かうものだから、息子を車に乗せるのはたいてい18時前。
終日の学びは新鮮で面白かったし、資格取得に向けてやる気もあったけれど、頭は毎回飽和状態。
息子と帰宅すれば、食事を用意し、入浴、寝かしつけ…。即、日常に戻るわけで、働きながら(といってもフリーランスでおひるねアート講師だったので毎日フルタイムというわけでもないけれど)、子育てをしながらの資格取得は充実の反面、試験に向けた勉強だけでなく、思考の整理が日々必要で、脳内は常にメーターがマックス。なかなかにハードだった。
そんな学びの場で出会った彼女は席が前後だったのが最初。
初日は二言三言交わしたものの、それは自己紹介の域を出なかったし、特別盛り上がったわけでもなかった。翌月も話したか?というと思い出せない。
だけど、合格後に今後の活動を試行錯誤するなか、何人かのメンバーが仲良くなり、お互いの講座に顔を出したり、飲食を共にしたりしながら、じわりじわりと仲良くなった。
上の写真は彼女の講座を受けたときのもの。たしか、渡されたカードの束からめくったいくつかの2枚のうち、どちらが大事か?をひたすら繰り返し、最後に残った5枚(いや、複数枚のなかから響かない言葉を捨てる、だったかもしれない)。
日々忙殺のなか暮らしていると、自分の心の奥に問いかけることなんてなかなかしない。目の前に現れた言葉のうち、響くもの響かないものをシンプルに選んでいくことで、今の自分が大事にしているものがわかって新鮮だった。
そんな同期たちの集いは最初こそ複数だったけれど、ひとりふたりと疎遠になり…。
気づけば彼女だけが、一定期間おきにお互いの近況を報告しあうかけがえのない相手になっていた。
普段は全く連絡しない。
LINEも鳴らない。
電話もしない。
なんなら、思い浮かべない(ごめん…笑)。
だけど、なぜかふとした瞬間に「そろそろ話したい」と思う相手で、ふっと連絡する。
「元気?」とか「最近どうしてる?」なんてまどろっこしい前置きなんてなくて、「ランチ行こや!」「ほな●日はどう?」と、会う日が即決まる。
ランチはもちろん現地集合で、2時間ほど食べて喋って、店を出ればバイバイ。
なんとも淡泊…!
だけど、その2時間はとても充実していて、必ず気づきや納得がある。
彼女は同い年で、昭和48年生まれの今年50歳。
結婚はしているけれど、こどもはおらず子育てはしていない。
心理学に興味があり、いくつかの資格を持っており、その分野で仕事をしている。
自分に負担のない働き方で週4で働く時短主婦。
同じ資格を手にしたものの、「今後も活用したいかというと違うかな」と、数年後にはライフオーガナイザーをあっさり手放した。
そんな親友が大阪までわたしに会いに来るという。新居も見たいという。めちゃくちゃうれしい!
久しぶりに会う彼女の最近はどんなかな?とブログを覗くと、新しい試みに挑戦していたり、新しくまた何かを学ぶらしい。
そこでふと手が止まる。「わたしはどうなの?」
正直なことを言うと、小さいため息が何度か出た。ため息をついたと認めたくはないけれど。
だけど、久しぶりに彼女と会うことは素直にうれしかったし、何かがモヤモヤしているわたしの心を晴らすきっかけになるだろうと、楽しみにしていた。
わたしたちは変換を間違えながら生きている
結論から言うと、わたしの捉え方は少しばかりずれていて、もちろん前進ではあるものの、彼女のなかにもモヤっとしたグレーな領域もあり、天高く晴れ渡る気持ち!でもなかった様子。
新しい試みのひとつは挙手をして名札をつけたばかりでスタートラインに立ったばかりの状況だというし、もうひとつもひとまず受け入れたものの、全体的にはふわっとしていてこの先どう転ぶかは明確には見えない話だった。
ふたりで話して思ったのは
わたしたちは変換を間違えながら生きているということ。
万博公園に向かう車中、駐車場から公園まで歩く道中、ピザとパスタを食べながら、最近の出来事やアイデア、感じたこと、モヤモヤしていること、心のなかの光や影を話した。
そこで改めて気づいたのは、「簡単に犯しがちな勘違い」。
SNSやブログなど、活発でなくとも発信がゼロではないわたしたち。
画面を通したその活字から、こっちの勝手な解釈で彼女の状況を“活躍”や“向上”だと受け止め、ここ1年停滞している自分と比べ、ひっそりとため息をついてしまっていた。
でも、事の経緯を直接話してみると実は彼女にも葛藤があることを知り、文字から変換したこちら側の解釈との乖離に気づく。
そんなわたしの解釈も彼女に伝えると(どんなふうに伝えたかは忘れたけど、おおむね似たようなこと)、「コトンだってすごいじゃんー!」と言う。
コ:え?どこが?
友:ESSEの記事だってさー、すごいことよ?
コ:いやー、そんなことないって。(これは謙遜とかではなく本当にそう思っている)
友:いやいや、誰でも書けるわけじゃないじゃん
そんな会話を通じて、ふと納得。「そうかも」
実際、ESSE-onlineのライターをしているわけだけど(仕事歴のこちらの記事でも書いてます)、ずば抜けて読まれているわけでもなければ、人気ライターなわけでもない。
だけど。
友:書いてみませんか、ってみんなに声がかかるわけじゃない
友:コトンが書き続けたブログを見て、見つけて、連絡してくれたんでしょ?
たしかに・・・。
当時の担当者の方には本当に感謝しかない(その後、扶桑社を去られたYさん、元気かなぁ!)。
ブログを書いていたからって、だれかれ声をかけてもらえるわけではないだろうし、ESSE-onlineで有益な記事を書いてくれそうだと、会ってもいないライフオーガナイザー駆け出し(当時まだ2年目)のわたしに白羽の矢を向けてくれたのだから。
そこから始まったライター活動は5年目。月に2記事ほどで頻繁ではないけれど、定期的に継続して記事を送り続けている。
半年ほど前、執筆料があがたときは驚いた。そんなことあるんや!と(笑)
「安定してためになる記事を書いてくれているので」と担当のSさん(担当は3人目)。ほかのライターのことは正直わからないけれど、わたしのこのペースでも評価をしてくれたことはうれしかった。
このことを振り返っても、たしかに彼女の言うように「誰でもできるわけじゃない」仕事かもしれない。扶桑社はイチ主婦が書いた原稿を買ってくれているのだから、胸を張ってもいいのかも!
発信ありきといってもいい今の時代。
わたしたちは日々、誰かの発信を事実とは異なる方法へ変換解釈し、勝手に相手を羨んだり、軽蔑的や攻撃的な気持ちになったり、結果落ち込んだりふさいだりするのかもしれない。
\これってめちゃくちゃ、危険やんか!!!/
誰もが簡単に犯しがちなこの勘違いは、けっこう重罪ではないかと思うのです。
もっと地に足を。人の人生より自分の人生!
勘違いをしないためには、SNSを見なければいいのだけど、完全にゼロにはできないだろうなと思うし、肩の力を入れて「SNSとは金輪際お付き合いしません!」なんてのも違うと思う。
要は、うまく付き合うってことだよね。
TVニュースやラジオトークだと客観的に捉えられることが、友人や家族や同僚、顔や人となりを知っている知り合いが発信者であるSNSだと、それが途端に難しくなったりする。
今のわたしはSNSとはいい距離を保てているけれど、こんなふうにできるようになったのはここ3年くらい。40代前半~半ばまでは、人の噂や評価に浮き沈むこともあったし、人の成功や活躍と自分を比べて一喜一憂していたこともある。
だけど、この本を読んでからは、日々の関心は自分であり家族であり、半径10m以内って感じ(笑)
SNSが近くにある時代だけど、やっぱり、自分や家族、今ここで起きていることに注目することって大事。『情報断食』にも書いてあったし、わたし自身の経験値としてもそう思う。
他人の日常より、自分の日常に比重を置く。
SNSに引っ張られず、自分の内面に目を向ける時間が増えれば、地に足をつけて生きている感覚も幸福感もあがる気がする。
わたしも今年で50歳。彼女はひと足先に50歳を迎えた。
しなやかに、軽やかに、でも地道に、風通しよく、そんな日々を送りたいなと改めて感じた、親友との時間でした。
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