26歳、単身で広島生活を頑張っていた頃。
神戸の彼と遠距離失恋し、仕事に疲れ、ボロボロだった頃。
「もう辞めようかな…関西に帰りたい」とSOSを発信した娘に父も母も手紙をくれた。
20代から今もわたしを支えてくれている、父の手紙の話。
ファックスで届いた父からの手紙
‘恋愛については●●(わたしの本名)がよっぽど決断できない時以外、口を出す気は毛頭ない。
若い時に人を好きになって一途になれないようでは、ほかの何ごとにも自分を発揮することは不可能だと言い切ってしまおう’
‘年齢を3で割って一生を一日に例える「人生時計」でいうと、●●はまだ朝の8時過ぎ、起きて、朝飯を食べてやっと仕事に出かけるくらいの時間です。
あせることも、落ち込むことも、ましてや無気力になるような時期ではありません。’
‘前途は多難ではあるけれど洋々としていることを信じてアグレッシブに、時にはのほほんとして生きて行きましょう。’
疲れ帰宅したワンルームに届いていたファックス。
長くなると予想しワープロで書いたのか直筆ではなかったが、感熱紙の長さは60センチにもおよび、父らしい言葉で20代の娘を突き放し、励ましてくれた。
わたしは枯れるくらい、ボロボロ泣いた。
失恋した娘へのエールなのか、父としての在り方を反省するくだりもあり、何度読んでも心に沁みる。
父が生きていた頃はもちろん、父が他界してからはさらに意味を持った。
感熱紙は黄ばみ、涙の跡は黒ずんでいるが、20年以上、私の大切な宝物。
人生時計
この「人生時計」は時折ふと思い出す。
年齢を3で割る。
シンプルだから。
人生時計を知ったのは9時過ぎ、26歳の頃。それから3時間経った36歳の誕生日直前に綴った言葉を久々に発見した。
もう数分で12時になります。
だけど、だけどさ。この3時間でさ。
出会った人、語り合った友人、訪れた場所、失敗して転んだ数、起き上がって成長した数、瞼パンパンになるまで涙した夜、筋肉痛なるまで笑った日々、感激で言葉が出なかった瞬間。
数えきれない。
いい年の重ね方をしていると、自画自賛します。
迷うし不安になるし批判的になるけれど、毎日笑っているしあほやし、なんか幸せ。
そろそろお昼ご飯。
コトンの過去ブログ
がむしゃらに過ごした午前中、いったん一休みもいいかもね。
爽やかな朝だった年齢はいつの間にか昼を過ぎ、正午の時点でまだ迷い多き人生だった。
だけどその後、同じように人生を迷っていた伴侶と出会い、わたしは13時直前で結婚した。
その相方との間にこどもを授かり、さらに3時間が過ぎたところだ。
この3時間にも多くの人と出会い、新しいことに挑戦し、自分の気持ちにより正直になり、持ちすぎた荷物は手放しながら、学びや気づきをたくさん得、自分だけではない、妻として母としての歩をも進めた感覚はある。
年齢を3で割ると、今のわたしは16時を回ったところ。
慌ただしい時間はまだ続くが、そろそろ日も暮れ始め、一日の終盤に向かいだす時間帯。
年齢を3で割る人生時計。
シンプルな例えは、自分の現在地を俯瞰させてくれる。
ネオ人生時計
だけど、いまは人生100年時代。
100歳まで生きるとは思えないが、72歳で死ぬとも思えない。
だから、年齢を3ではなく3.6で割ってみた。
(女性の平均寿命は87歳を超えた。87÷24=3.625)
これがすごーく、しっくりくる。
24時間生きたとして、命の長さは86年。
晩婚とはいえ、結婚した39歳はまだ午前11時前。
48歳の今は昼の13時半前。
仕事から疲れて家に帰るのが18時として65歳。
夕食を済ませた19歳以降は68歳を過ぎた頃。
夜が更けていくのを感じながら、好きな音楽を聴いたり、本を読んだり、お酒を飲んだり、ゆったり過ごす時間帯だ。
現在、14時半のわたし。
まだまだ3時間4時間、パワフルに動ける時間帯。
たしかにそうだ。まだ48歳。
これから新しいプロジェクトにだって、とりかかれる。
新しい出会いも発見も、無限。
ただしこれは、自分の人生、寿命を全うするという前提の話。
自分の命の時間を、軽やかに、しなやかに、最大限に全うしたい。
ネオ人生時計を胸に、ワクワクしながら、歩いていこうと改めて思った日。
皆さんも、前途洋々な人生。
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